久しぶりの更新。

 1. 慶大生6人事件にみる公益と私益の相克

1-1. 不起訴の背景には示談成立→告訴等の取り下げがある可能性が高い

慶大生6人が女子学生を酒に酔わせて集団で姦淫した容疑で書類送検されていた件は、不起訴になったようだ。

私は被疑者を実名とする事件報道は原則的に拡散しない方針をとっているが、以下の記事は匿名なので貼っておく。

www3.nhk.or.jp

不起訴といっても嫌疑不十分なのか、それとも起訴猶予*1なのか、理由は判然としない。

判然とはしないが、上記の記事によれば、示談が成立したという捜査関係者からの情報があるようだ。嫌疑不十分なら別だが、6対1の集団準強姦で起訴猶予になるのは示談が成立しないと困難と思われるから、示談成立という情報はおそらく正しいだろう。

1-2. 集団準強姦罪は親告罪ではないこと等

従来親告罪*2だった強姦罪*3や強制わいせつ罪は、今年7月13日施行の刑法改正により親告罪でなくなった。

しかし、慶應6人事件の被疑事実は刑法改正前の集団準強姦罪*4であり、集団準強姦罪は刑法改正前から親告罪ではなかった。

だから、法的には、示談が成立して告訴や被害届が取り下げられたとしても、検察官は被疑者を起訴することが可能だった。

1-3. 公益を重視すれば起訴、私益を重視すれば不起訴に傾く

法的には起訴できるのに不起訴になったことから、ネット上には検察の判断を非難する声が散見される。

しかし、集団準強姦という性的な犯罪について、被害者が起訴を望まないのにこれを起訴し、公開の法廷で裁判をするということが本当に妥当だろうか。

仮に被疑者ら6人がクロだとすると、公益の観点からは、裁判をして被告人を処罰する方がよいだろう。お咎めなしでは本人も同じことを繰り返すかもしれないし、「女性を酔わせて輪姦しても不起訴ですむ」というメッセージを世間の性犯罪者予備軍に与えてしまうかもしれない。

一方、被害者の利益という観点からはどうか。

被害者としては、既に示談により賠償を得て民事の側面が解決済みなら、敢えて刑事の法廷で証言したりしたくないという判断は充分あり得る。被害者がそのような判断をして告訴や被害届を取り下げた場合、被害者の利益を優先するなら起訴は差し控えるのが妥当だろう。

その場合に敢えて検察官が起訴を強行することは、被害者の私益よりも公益を優先する判断である。

一般論として、刑事手続において、公益を被害者の私益に優先させる判断をしていけないわけではない。

刑罰は、犯罪を予防し社会秩序を維持するという重要な公益を担っており、刑事裁判は被害者のためだけにあるわけではない。だから法は、起訴権限を検察官に独占させ、被害者などの関係者が私的に起訴したり起訴をやめたりすることはできない制度をとっているわけだ。*5

しかし、強姦や強制わいせつといった犯罪については、国家刑罰権の実現という公益を諦めてでも被害者の意思という私益を優先させる。これが、従来強姦等の罪が親告罪とされてきた所以であった。

刑法改正により非親告罪化がなされても、強制性交等罪や強制わいせつ罪が、他の犯罪以上に被害者のプライバシーに配慮を要する犯罪であるという点は変わらない。だから非親告罪化後も、被害者の告訴や被害届がない場合は、ほとんどのケースで検察官は起訴を差し控えるだろう。そして今回の慶應のケースでも、そのような判断により検察官は起訴を差し控えた可能性が高い。

せっかく非親告罪でも結局告訴等がなければ起訴されにくいという運用について、「そんなことでは性犯罪を予防できない」という公益的観点からの批判は当然あってよい。

しかし、そのような批判は、要するに「被害者の意思を尊重するな」と言っているわけだから、あくまで公益的観点からの批判であって、被害者に寄り添ったものではない。

不起訴の判断を批判する論者も、その点は自覚すべきだろう。

2. 日馬富士暴行事件にみる公益と私益の相克

このところ最も世間を騒がせた日馬富士暴行事件も、公益と私益のジレンマという観点で見ると、慶應の件と通底するものがある。

ネット世論を見ると、私の観測範囲では、貴乃花親方を支持する声が圧倒的に強い。*6

私も、貴乃花親方が相撲界からの暴力追放という動機で動いているならば、その動機は正しいと思うし、支持できる。

しかし、この件について、ネット上で「被害者が被害届を出すのは当然の権利だ。それを妨げようとする協会はけしからん」という類の論調が多い点はやや疑問だ。

貴乃花親方は被害者ではないからである。

言うまでもないことだが、被害者は貴ノ岩だ。

今回の件で貴ノ岩と貴乃花親方の立場を単純に「被害者側」として一括に考えられるかについては疑問がある。報道されている経緯が正しいとすれば、貴ノ岩本人は当初は丸く収めようとしていたが、貴乃花親方がこの件を重大視して被害届を提出したという事情のようにも見えるからだ。*7

そうだとすると、貴乃花親方は、先の慶應の件になぞらえていうと、「被害者が告訴を取り下げても敢えて起訴する検察官」のような立場に立っている可能性がある。

つまり、貴乃花親方が相撲界からの暴力追放という公益を追求した結果、貴ノ岩本人の私益は無視されている可能性があるということだ。

以前にも傷害致死事件があったことを考えると、相撲界から暴力を追放する必要性は高い。したがって、この件を表沙汰にした貴乃花親方の判断は、仮に貴ノ岩の意思に反していたとしても肯定的に評価できると思う。

しかし貴乃花親方の行動に正当性があるのはあくまで公益的観点からであって、「協会が被害者を抑圧している」というような単純な図式で捉えきれない問題であることは指摘しておきたい。

弁護士 三浦 義隆

おおたかの森法律事務所

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