痴漢を疑われた人が逃走し、ビルから転落して死亡したという事故が起きてしまった。

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痴漢を疑われた場合にどのような対応をすればよいかについては、弁護士の間でも意見が分かれていた。この機会に私の意見を述べておこう。

まず、駅事務室などに同行を求められても行ってはいけない。

あなたが痴漢の疑いをかけられた。駅事務室に同行を求められそれに応じた。任意で同行しただけであり身柄拘束などされていなかった。としよう。

でも後に警察に引き渡されたら、「まず私人*1が現行犯逮捕し、被疑者を警察に引き渡した」ことにされ、適法な逮捕の体裁を整えられてしまう。

だから行ってはいけない。

ではどうすべきか。

自らの身分を告げる等して平穏に立ち去ることができればベスト。

これは間違いない。この点は弁護士間にもおそらく異論がないだろう。*2

しかし、実際には、被害申告者や駅員の側も平穏に立ち去らせてくれない場合が多いだろう。その場合どうすべきかが問題だ。

従来、弁護士の中には「走って逃げろ」との見解を述べる人もいたが、私はこれには反対だ。

走って逃げ切れればいいが、今はあちこちにビデオカメラもある。現に逃走している以上、逃亡や罪証隠滅のおそれは高いとみられるから、尻尾をつかまれた場合には、むしろ逮捕・勾留のリスクが高まる行為だ。

偶然逃げ切れればラッキーだが、そういう都合のいい展開を前提としたアドバイスは法律家のアドバイスとはいえない。金の請求をしてくる奴がうっとうしいならそいつを殺して埋めればいい、運がよければバレない、というアドバイスと本質的には違いがないと思う。

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 上記の記事にもあるとおり、痴漢を疑われ、取り囲まれるなどして立ち去らせてくれない場合は、

「その場を動かず弁護士を呼ぶ」

というのがベターな選択だろう。

先に私は、ベストな選択として「平穏に立ち去る」と述べた。

実は、「平穏に立ち去る」と「その場を動かず弁護士を呼ぶ」は別々の選択肢ではない。「平穏に立ち去る」を実現するための手段が「弁護士を呼ぶ」だ。

その場に駆けつけた弁護士は、現状がいかに逮捕要件を満たさないかを論じ、逮捕しなくても被疑者が逃げも隠れもしないことを示して、法的には被疑者は今すぐ帰されるべきなのだということを論証するだろう。

私のクライアントは法的には今すぐ帰れる身分なのだから今すぐ帰るね。後で呼び出してくれれば逃げも隠れもしないからね。何なら後日、俺も付き添って警察署に出頭するよ。でも今日はとりあえずバイバイ。というわけだ。

弁護士を呼べば、このように平穏に立ち去れる可能性が高まる。

ちなみに、もし逮捕されたとしても、「どうせ逮捕された時点で人生終わりだから危険を冒しても逃げた方がいい」みたいなネット通説は誤りだ。正確にいうと、10年前ならある程度正しかったかもしれないが、今は誤りになりつつある。

「行列のできる」とかに出ている先生方は今の刑事事件の実務をご存じないのかもしれないが、例えば近時の東京地裁・簡裁では、痴漢事件は否認していたとしても勾留はしないのが原則的な運用のようだ。他の裁判所でも、いわゆる人質司法が徐々にだが是正されてきている。

逮捕段階での拘束は2~3日。病欠とかで余裕でごまかせる範囲だ。それが勾留されると+10日になる。勾留延長されればさらに+10日で、計23日。 23日も娑婆に出られないのは致命的だ。

昔は否認していれば勾留されるし勾留延長もされるのが当たり前だった。映画「それでもボクはやってない」は10年ほど前の作品だが、その頃はたしかにそうだった。でも今はそうではない。

痴漢を疑われた被疑者が転落死した事故は都内で起きたようだ。この人は、「痴漢を疑われた時点で人生終わりだから逃げるしかない」みたいなネット風説の被害者かもしれないと思う。

実際には、逃げなくても2,3日で釈放された可能性が高いのだから。

弁護士 三浦 義隆

おおたかの森法律事務所

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