今回は法律とは関係のない話。
今朝、小学1年生の娘が本の付録の紙の工作を持ってきて、「パパ、やまおりってどっちに折るの?」と聞いてきた。
目の前で折ってみせ、
「こう折るんだよ。やまおりって書いてある線があるでしょう。これが山のてっぺんになるように折るのが山折り。反対に、線が谷の底になるよう折るのが谷折り。山折りも谷折りも折り方は一緒で、線がどっちに来るかの違いだよ」
と教えた。娘は納得したようだった。
この私の説明は、一般的にはやや過剰に見えるものだったかもしれない。普通は目の前で折ってみせるだけで直観的にわかるのかもしれないと思う。
しかし、私自身が、上のように言語化して理解できるまでは、山折りと谷折りの区別が付かなかった。何歳までわからなかったか明確には覚えていないが、普通よりも遅く覚えたのは間違いない。
誰に教わったわけでもなく、あるときふと「山折りというのは線が山のてっぺんになるよう折り、谷折りというのは線が谷の底になるよう折ればよい」ということに気付いて、それ以降迷うことはなくなった。
山折りと谷折りという概念を理解したのと同時に、今まで理解できなかった理由もわかった。山折りも谷折りも折り方としては同じで、山を裏から見れば谷になる。指示の線がどちら側に来るかの違いでしかないということを誰も言葉で教えてくれなかったから理解できなかったようだ。
私は、言語的な能力に比べて非言語的な能力がかなり低いようだ。
しかも不注意や多動の傾向も強いため、ADHDであろうと思っているが、確定診断を受けることはないまま36歳に至っている。
3、4年前、診察を受けてみようと思い立って病院に行ったことはある。
WAIS-Ⅲ式の知能検査を受け、言語性IQは140で99.6パーセンタイルとかなり高い数字が出たが、動作性IQは113で81パーセンタイルと凡庸な成績だった。
言語性と動作性で27も差がつくのは割と珍しいようである。言語性IQに比べて動作性IQが大きく低いことが多いのもADHDの特徴と聞いていたので、なるほどという感じだった。
3回ほど通院し、確定診断はもう少し継続的に診てからという話になっていたが、面倒になって通院をやめてしまった。だから上に書いたように確定診断は受けていない。
今思うと、山折りと谷折りがなかなか理解できなかったことも、私の能力の偏りが関係しているのだろうと思う。
私ほど極端ではないにせよ、娘にも私と同じ傾向を感じるときがある。
そこで娘に対しても、上述のように説明してみたのであった。
読者の中にも、子どもの頃に山折りと谷折りが理解できなかったという人はいないだろうか。
いたらブコメなどで教えてくれると嬉しい。
弁護士 三浦 義隆
おおたかの森法律事務所