労働者が仕事上のミスによって使用者に損害を与えた場合に、損害額を労働者の給料から差し引いて支給するケースがときどき見られる。

このような天引きは、業務上の事故がつきものの運送業などでは、ある程度広く行われているようだ。

 この問題は2つの層に分けて考えることができる。

  1. そもそも使用者は、労働者の業務上のミスを理由に、労働者に対して損害賠償請求できるか。
  2. 仮に使用者が従業員に損害賠償請求できるとしても、賠償金を給与から差し引く方法で取り立てることは許されるか。

以下、この2つの問題について説明する。

 1.使用者は労働者の業務上のミスを理由に労働者に損害賠償請求できるか

労働者が業務上の注意義務に違反して、故意または過失により使用者に損害を与えた場合、使用者は不法行為(民法709条)または債務不履行(民法415条)を根拠に労働者に損害賠償請求をできる場合がある。

労働者が自らの故意または過失で使用者に損害を与えたのだから、損害を賠償しなければならないことは当然だと思われるかもしれない。

しかし、使用者は、日々労働者を使用することによって自らの活動を拡大し、利益をあげている。

労働者の行為によって発生した利益は使用者が取得するのに、損失が発生した場合は労働者から取り立てるというのは、不公平ではないだろうか。

「利益の帰するところ、損失もまた帰する」という法原理(報償責任の原理)がある。

この報償責任の原理からすれば、労働者のミスによって生じた損失は使用者が負担すべきだと考えられる。

また、使用者は保険を利用する等の方法によって予めリスクを分散させることもできる。

このような考慮から、裁判所も、使用者が労働者に対してする損害賠償請求を、大幅に制限する立場をとっている。

茨石事件最高裁判決は、

使用者が、その事業の執行につきなされた被用者の加害行為により、直接損害を被り又は使用者としての損害賠償責任を負担したことに基づき損害を被つた場合には、使用者は、その事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防若しくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、被用者に対し右損害の賠償又は求償の請求をすることができるものと解すべきである。

と判示して、使用者から労働者に対する賠償・求償請求は制限されることを示した。

そして、最高裁は、この事案で使用者が労働者に請求できる損害は、全損害の4分の1であるとした。

その後の下級審では、4分の1どころではなく、労働者の責任を全く認めないものや、1~2割程度しか認めないといった裁判例も多数積み重なっている。

したがって、損害発生が労働者の単純ミスによる場合は、使用者が労働者に対して損害賠償請求をしても、そのような請求は全く認められないか、大幅な減額をされることになるだろう。

一方、労働者が使用者の財産を横領した場合など、故意の犯罪行為によって使用者に損害を与えた場合は、全額の損害賠償請求が認められる。

2.使用者は、労働者に対して損害賠償請求できる場合、これを給与から差し引けるか

結論から述べると、使用者は労働者に請求すべき賠償金を給与から差し引くことはできない。

賃金全額払の原則(労基法24条1項)に違反するからだ。

労働基準法 第24条 (賃金の支払)

1 賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。ただし、法令若しくは労働協約に別段の定めがある場合又は厚生労働省令で定める賃金について確実な支払の方法で厚生労働省令で定めるものによる場合においては、通貨以外のもので支払い、また、法令に別段の定めがある場合又は当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合においては、賃金の一部を控除して支払うことができる。

したがって、給与から「負担金」「制裁金」等の名目で一方的にお金を差し引かれた労働者は、その差し引かれた金額を、未払賃金として使用者に対し請求できる。

 もっとも、賃金全額払の原則には、判例上認められた例外がある。

使用者が労働者の同意を得て行う相殺は、当該相殺が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的理由が客観的に存在するときは、全額払原則に反せず適法である

と、最高裁は述べている。(日新製鋼事件最高裁判決)

しかし、この判例も、単に労働者の同意があればOKと言っているわけではない。

労働者の同意が「労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的理由が客観的に存在するとき」に限って相殺が認められるという要件を課している。

そして、裁判例の傾向として、この要件は相当厳格に判断されているから、給与天引きはそう簡単に有効とは認められない。

この要件に照らして天引きが有効になりやすい例としては、

  • 使用者が労働者から頼まれて労働者にお金を貸し付け、同意を得て返済金を天引きする場合
  • 事務的ミスによりある月の賃金を多く払いすぎてしまったことが判明したので、労働者の同意を得て過払い分を天引きする場合

などが考えられる。

一方、本稿で問題としているのは、業務上のミスに対する損害賠償の趣旨での天引きだ。

労働者が、このような天引きをされることに心底納得するというのは通常考えにくい。多くの場合、使用者が力関係によって押し付けた合意だと見られるだろう。

したがって、損害賠償金の給与天引きについて、仮に使用者が形式的には労働者から同意を取っていたとしても、裁判所がこの同意を根拠に天引きを適法と判断する可能性は低いだろう。*1

したがって、仕事上のミスによる損害分を給与から天引きされた労働者は、その天引きに同意していたとしても、その天引きされた金額を未払い賃金として請求できる可能性が高い。

逆に使用者としては、労働者に対して損害賠償請求をしたければ、まず労働者に賃金全額を支払った上で別途請求するしかないことになる。(もっとも、この損害賠償請求もそう簡単に認められないことは前記のとおり。)

弁護士 三浦 義隆

おおたかの森法律事務所

http://otakalaw.com/