1. はじめに

著述家の菅野完氏が被告となった損害賠償請求訴訟(以下「本件訴訟」という。)の判決(以下「本件判決」という。)が、本日8月8日、東京地裁で言い渡された。

本件訴訟を一言で言うと、平成24年7月9日、菅野氏がX氏の自宅で、性的意図を持ってX氏に抱きつく等の行為をし、この行為が不法行為にあたるとしてX氏が220万円の損害賠償を求めたものだ。

本件判決は、請求額のちょうど半額にあたる110万円の損害賠償を認めた。

この訴訟において菅野氏の代理人は私が務めた。本件の事実関係や交渉・訴訟の経過について、一般向けに報告するよう本人から依頼を受けたので、以下、報告する。

なお、私は菅野氏と特段親交があるわけではなく、本件の打ち合わせを除けば会ったこともない。私はあくまで業務として本件を受任したに過ぎない。菅野氏について私に問い合わせなどをされることは、仕事に支障が出るので差し控えるようお願いしたい。

2. 本件訴訟に至った経緯

(1) 受任までの経緯等

本件訴訟の原告を、名は伏せてX氏とする。

菅野氏がX氏に対し抱きつく等の行為をしたという事実関係については、元々争いがなかった。

私が菅野氏から相談を受け、本件を受任したのは平成27年7月のことだ。

初回相談の直前に、X氏の代理人弁護士から菅野氏宛に、慰謝料200万円を請求する内容証明が届いていた。

菅野氏は相談に内容証明を持参し、「反省している。被害回復を第一に考えたい。X氏に謝罪の上、示談交渉をしてほしい」と述べた。菅野氏は、私への依頼前の時点でX氏に対し「謝罪文」も交付しており、その写しもお預かりした。

私は、そういうことなら円満解決のためお役に立てるだろうと思い、依頼をお受けした。

菅野氏がX氏に抱きついたのは、有り体に言えばX氏と性的関係を持ちたかったからだ。菅野氏は本件当日がX氏との初対面だったが、従前からネット上では親交があった。当日会って話をするうち、次第にX氏に好意を抱き、かつ、X氏も自分に好意を抱いてくれていると誤解してしまったとのことだ。

一般に、男女間において、男性が「相手もOKだろう」との推測のもと、明示的に言語での承諾を取らないまま肉体的接触に及ぶことは、良いか悪いかは別としてよくあることと思う。これは「相手もOKだろう」という推測が当たっていた場合は問題にならないが、外れていた場合はハラスメントになりかねない。

本件の菅野氏もまさにこれで、「X氏も自分に好意を持ってくれているだろう」との甘い見通しに基づきX氏に抱きついてしまった。

菅野氏としても無理に性行為をするつもりは毛頭なかった。現にX氏の拒絶を受けて、それ以上の行為は断念している。しかし、抱きついた行為自体が身勝手な加害行為であったことは菅野氏も自覚しており、そのような行為によってX氏を傷つけたことを深く反省している。

(2)受任後の経緯等

以上の次第で私は菅野氏から示談交渉を受任したが、交渉は予想以上に難航した。

X氏が、菅野氏に対し、損害賠償請求や謝罪の要求のみならず、

  • 菅野氏のtwitterアカウントを削除し、今後ともtwitterで発言しないこと
  • 女性の権利問題に関する言論活動を今後しないこと

などの条件を要求し、言論人である菅野氏としては、これを受け入れるわけにいかなかったからだ。

私も、「例えば本件に関しtwitterで謝罪せよといった要求ならまだ理解できるが、一般的にtwitterをやめろとか言論活動をやめろというのは本件と直接関係ないし、さすがに不当な要求だ。このような請求が判決で認められることはあり得ないし、応じるべきではない」と助言した。

示談交渉の最終段階では、当方は、請求された満額の200万円の和解金を提示した。

200万円というのは判決で予想される水準よりも遥かに高額であり、通常ならば応じない金額だ。X氏の被害回復を優先したいという菅野氏自身の希望があり、しかし上記の不当な要求には応じられないことから、せめてお金でお詫びしたいと思い、相場よりも高額を提示した次第である。

しかしX氏は、あくまで菅野氏の言論活動への制約を伴う条件にこだわり、満額である200万円の提示すら受け入れてくれなかったため、示談交渉は決裂して本件訴訟に至った。

なお、損害賠償請求訴訟の判決では金銭の支払を命じるのみであり、X氏が要求していたような条件を入れることはできない。それどころか、判決では謝罪すら命じてくれない。

当方は、言論活動への制約こそ受け入れられないが、その他の条件(合意書への謝罪文言の記載など)は、できる限りX氏の希望に沿って柔軟に応じる方針でいた。しかも提示額は満額だから、損得でいえば、これを蹴って訴訟をしてもX氏の得になることはない。

それにも関わらず訴訟をするということは、菅野氏に社会的制裁を加えること自体がX氏の目的なのではないか。示談交渉が決裂した頃には、そのような不安が生じてきた。

本件訴訟は、平成27年12月に東京地裁に提起された。前記のとおり、請求は220万円の損害賠償である。

訴訟においても、抱きついた等の事実関係については特に争いがなく、当方としては、和解による円満解決を目指して訴訟を追行した。

しかし、X氏は訴訟段階でも、交渉段階と同じように、twitterでの発言禁止等の条件に固執したから、和解交渉は難航した。

3.X氏による私的制裁行為

(1) 反省文差止めの経緯

平成28年7月上旬、菅野氏は週刊誌『週刊金曜日』の記者から、本件及び本件訴訟について、電話による取材を受けた。この取材により菅野氏は、本件が同誌に掲載されることを察知した。

菅野氏としては、言論活動をしている立場上、『週刊金曜日』記事(以下「本件記事」という。)によって本件が明るみに出る前に、社会一般に対して自らの言葉で釈明をし、反省の意と再発防止の決意を示しておく必要があると考えた。そこで菅野氏は、反省文を執筆し、7月12日中には、これをすぐにでもインターネット上に掲載できるよう準備を整えた。

しかし、事柄が性的な紛争だから、X氏の被害感情にも配慮する必要がある。そこで、菅野氏は、反省文の原稿の写しを、7月13日の弁論準備期日に赴く私に託し、弁論準備の席上、X氏、X氏代理人弁護士及び裁判官の閲覧に供した。

その上で、私は当該写しをX氏代理人弁護士に交付し、「この原稿は7月14日中にはネット上に掲載する予定です。修正依頼などあれば可能な限り対応するので、速やかにご連絡をください」という旨を述べ、X氏代理人弁護士はこれを了承した。

しかし、翌7月14日正午過ぎになって、X氏代理人は弁護士、当該反省文の掲載自体を中止するよう要求してきた。

菅野氏としては、本来は文言の微調整などを想定してX氏に原稿を交付したのであって、掲載の許否まで含めてX氏に委ねるつもりはなかったし、委ねるとも言っていない。菅野氏が自ら出すと決めた文書の掲載を第三者の要求により中止させられるのは、言論人である菅野氏にとって耐えがたいことだった。

しかし、菅野氏は、X氏に対する二次加害になってはいけないとの配慮から、断腸の思いで反省文の掲載を中止した。

(2) X氏による本件記事の拡散工作

結局、本件記事は7月15日発売の『週刊金曜日』に掲載される運びとなった。

菅野氏は、X氏からの要請を受諾して反省文の掲載を中止し、反省や釈明の弁を述べる機会を失ったまま、本件に関し一方的な社会的糾弾を受けることを甘受した。

ところが、X氏は、一方では菅野氏の反省文掲載の機会を奪っておきながら、他方では、本件記事の発表前に、本件記事をインターネット上で広く拡散するための工作活動をひそかに行なっていた。

その工作活動とは、おおよそ、

  1. X氏が予め匿名ブロガーの某氏に、本件記事を発売日前に拡散するよう依頼して記事の画像を託しておく。ブロガー某氏は本件記事の画像を添付して菅野氏を糾弾するブログを書く。
  2. 並行してX氏は、インターネット上の複数の著名人にも予め根回しをし、上記のブログが発表されたらこれを拡散するよう依頼しておく。

というものだった。この計画はそのとおり実現して大いに功を奏し、菅野氏は社会的非難を浴びることとなった。

このような工作活動が露見したのは、ブロガー某氏がX氏に利用されていたとして、真相を暴露するブログを公開するに及んだからだ。

この一連の経緯は、今でもネット上で検索すれば追うことができる。

4. 和解決裂、判決へ

前記の反省文掲載中止と『週刊金曜日』記事拡散後も、菅野氏としては和解を諦めたわけではなかった。

裁判所としても、X氏が要求していた言論制約を伴う和解条項には同調しないが、和解そのものは望ましいという姿勢だった。裁判所からの和解案提示もあった。

しかし、X氏は結局、菅野氏の言論活動を制約するという要求を取り下げることがなかったので、和解は終局的に決裂してしまった。

そして本件判決に至っている。

なお、菅野氏本人が本件訴訟に出廷しなかったことについて『週刊金曜日』などは批判的に報じているようだが、私の以前のエントリでも述べたとおり、代理人弁護士がついているならば、尋問以外の民事訴訟期日に当事者本人が出廷しないのはむしろ通常のことだ。

X氏本人も、2度ほど出廷したが、それ以外のほとんどの期日は出廷していない。さらに、X氏本人が出廷した期日については、X氏が菅野氏と顔を合わせたくないからできれば出廷しないでほしい旨の要望をX氏代理人弁護士からいただいて、性的紛争であることに鑑み菅野氏は出廷を見合わせた。

このように、菅野氏が出廷しなかったことについて非難されるいわれはないことを申し添えておきたい。

5. 所感および今後について

本件の原因は菅野氏にある。同意なくX氏に抱きついたりしたことは菅野氏が悪い。それは菅野氏も当初から認め、X氏にお詫びするとともに、賠償の意思を示してきた。

菅野氏は、今回の件で反省し、女性の権利問題についても学び直したことから、X氏に二次被害を与えることを避け、かつ被害回復をしたいという思いで本件に臨んできた。

X氏は本件の交渉及び訴訟の経過について、菅野氏が不誠実な対応をしたとの認識を持っているようだ。しかし結局X氏は、菅野氏が自らの言論活動を自粛するという条件を受け入れない限り和解するつもりがなかったのだから、菅野氏としてもどうしようもなかった。

むしろ、上記のようなX氏による一連の対応、とりわけ菅野氏による反省文掲載を封じておきながら自らは記事の拡散工作をする等の行為は、X氏の被害者という立場を考慮しても、妥当といえる範囲を超えていたように思う。

一般論として「加害者が社会的制裁を受けた」という事情が損害賠償額算定にあたり考慮されるべきであるかどうかは微妙な論点だが、少なくとも、社会的制裁が原告主導で行われたような場合は考慮されるべきであろう。

そこで当方としては、上記の経緯も考慮した判決を求めていたが、その点で、110万円の支払を命じた本件判決には不服がある。

控訴も検討したい。

弁護士 三浦 義隆

おおたかの森法律事務所

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