道交法違反関係の裁判例を検索していたら、「これはひどい」という裁判例にヒットした。面白いので紹介しておく。
事件そのものは昭和50年。裁判は刑事が昭和51~52年、民事が昭和58~61年と、かなり古い話ではある。
以下に流れをまとめてみた。
- 昭和50年5月4日、タクシー運転手のAがタクシーを運転していたところ、路上で交通整理をしていた警察官Kの脇にA車両が停止し、AとKは会話をした。
- KはAに対し、Aが道交法違反(進路変更禁止違反)をした旨を告げ、執拗に運転免許証の提示を求めるなどした。なお道交法違反の事実はなかったし、Kが道交法違反を疑うべき合理的な理由もなかった。
- AはKに反論して口論になった。Aは車を発信させて立ち去ろうとしたため、KがAの右腕を押さえた。Aがこれを振りほどこうとするなどして、もみ合いになった。この際に、Aの右手がKの顔に当たり、Kは加療約1週間を要する顔面挫傷を負った。ただしAの行為は故意の暴行とは認定されていない。
- Kは、道交法違反及び公務執行妨害の現行犯としてAを逮捕した。なお、前記のとおり道交法違反の事実はなかったし、Kが道交法違反を疑うに足りる合理的理由もなかったから、Aに対し執拗に免許証の提示を求めるなどしたKの行為は適法な「公務」とはいえない。したがって公務執行妨害罪成立の余地はなかった。
- Kは、5月6日頃、高校時代に同学年、2年生時には同クラスだったFに、実際にはFが逮捕現場に居合わせていなかったにも関わらず、「自分は逮捕現場に居合わせていたが、タクシー運転手が進路変更禁止に違反し、これを注意した取締中の警察官を右手で殴打したのを見た。」という虚偽の供述をしてほしい旨を依頼し、Fはこの依頼を引き受けた。
- Kは、現場付近で私服で目撃者探しをした結果、目撃者であるFを発見したとして、上司であるM刑事のところにFを連れてきた。
- Fは、参考人として取調を受けた際、捜査官に対し、Kから頼まれたとおりの虚偽の供述をし、その旨の供述調書が作成された。
- Aは5月4日に現行犯逮捕された後、5月7日に勾留され、5月21日に保釈されるまで15日間(逮捕段階を合わせると18日間)身柄拘束された。
- Aは全面否認のまま、5月13日に公務執行妨害、傷害罪で起訴され、5月30日には道交法違反で追起訴された。
- 刑事公判の第一審では、Fが証人として出廷し、捜査段階と同様の虚偽証言をした。KもFも、「KとFは、Kが目撃者探しをしていてFに出会ったのが初対面であり、それまで何ら面識はなかった」と供述した。
- 刑事公判第一審判決(東京地判昭和51・3・22)は、K及びFの証言の信用性を認め、これらの証言を主要な証拠としてAを有罪とした。Aは控訴。
- 刑事第一審の有罪判決後、弁護人らはKとFの関係に疑いを持ち、調査を開始したようである。同じ頃、Fは急遽メキシコに渡航し、そのまま帰国しなかった。
- 刑事第二審の公判では、弁護側証人Tが出廷して、「FがTに対し、友達の警察官から虚偽の目撃供述を求められて悩んでいるという趣旨のことを語っていた」と証言した。また、KとFの卒業した高校が照会に応じ、KとFは同高校の同年次生であって、2年次には同級生であった旨を回答した。
- 刑事第二審は、KとFの証言の信用性を否定し、逆転無罪判決(東京高判昭和52・4・18判タ352号329頁)。検察官は控訴せずそのまま無罪判決が確定。
- Aは東京都、KおよびFを被告として損害賠償請求訴訟を提起。民事第一審判決(東京地判昭和58・4.22)は、東京都及びFの賠償責任を認めて両者に163万円余の支払を命じたが、Kについては国家賠償法上個人責任は追及できないとして、Kに対する請求は棄却。Kを除く3名が控訴。なお、この訴訟において、Fは本人尋問のための呼出しを受けながら出頭しなかった。
- 民事第二審判決(昭和61・8・6判タ612号26頁)は、一審判決を変更して賠償額を193万円余に増額。また、一審では否定されたKの個人責任も認めた。Kが参考人として捜査機関に対し供述した行為や証人として法廷で証言した行為は職務執行行為ではないから、このような行為については国家賠償法により都が責任を負うのではなく、民法709条によりKが責任を負うとされた。
こんな感じ。
警察官は偽証のプロであるという認識は、多くの弁護士が持っていると思う。
犯行を目撃したとか、違法な捜査はしていないなどとする警察官の供述の信用性が否定されて無罪が出た裁判例は山ほどある。(ただし裁判所は警察官の虚偽供述を安易に信用する傾向があるから、警察官の嘘が通ってしまっているケースの方がずっと多いと見るべきだろう。無罪判決は氷山の一角。)
だから警察官の偽証だけなら珍しくもないが、部外者にまで偽証させた挙句に割とあっさりバレているという点で、ひときわ「これはひどい」感が強い事案だ。
A氏はとんだ災難だったが、ともあれ無罪となり賠償も認められたのは不幸中の幸いであろう。
この件でKとFの関係が発覚したのは弁護人が疑って調査をしたからのようだが、弁護人がそこに気付かなければ、そのまま冤罪が確定していたところであった。
弁護士 三浦 義隆
おおたかの森法律事務所