前々回エントリ前回エントリともにきわめて反響が大きく、痴漢冤罪問題への社会的関心の高さを痛感した。*1

いつも満員電車に乗っている人は、否応なく他人と身体が密着する状況に、誤解を受けたらどうしよう、痴漢犯人と取り違えられたらどうしようと不安に思うのはよくわかる。

不安なのはわかるが、痴漢冤罪を痴漢特有の問題だと信じている人が少なからずいるらしいことが今回の色々な反応を受けてわかり、これはちょっと不思議だった。

どうも、「日本は女に有利な世の中で、捜査機関も裁判所も女の言うことは鵜呑みにする。他の犯罪なら決定的な物証もないのに有罪になることはないが、痴漢の場合は有罪になる」というような、陰謀論的な世界観を持っている人が少なくないらしい。

痴漢冤罪は痴漢特有の問題などでは全くない。日本の刑事司法全体の問題が痴漢事件にもそのまま反映されているだけ。

被害者供述や捜査段階の自白などの供述証拠を安易に信用し、強引な事実認定で有罪判決を書く裁判所。

あの手この手で自白を迫ったり、被疑者の供述を都合のいいように解釈して供述調書を「作文」したりする捜査機関。

否認すると逃亡のおそれや罪証隠滅のおそれありとされ、長期勾留されやすくなるいわゆる人質司法の問題。*2

捜査機関が被疑者の氏名等をマスコミにリークするため、罪を犯したか否かはっきりしない段階で実名報道がなされてしまい社会的制裁を受けるという問題。*3

こうして私が問題点を指摘すると、多くの方は「けしからん」「改善すべきだ」と思うのではないか。

しかし、多くの日本国民が、普段からこうした刑事司法のあり方に批判的な視点を持っているかというと、決してそんなことはないと思う。というか、むしろこうした刑事司法を積極的に支持している人が大半だと思う。

例えば最近大きな話題となった松戸市の女児殺害事件では、被疑者は黙秘しているとされるが当然のように実名報道がなされ、被疑者が犯人という前提で皆がこの事件を語っている。

「黙秘するとはけしからん」「反省していない証拠だ」といった言説も、ネット上にはあふれかえっている。

光市母子殺害事件で弁護団がバッシングを浴び、大量の懲戒請求までなされたことも記憶に新しい。光市の件に限らず、死刑相当の重大事件の弁護人が「人権屋」などと言われてバッシングを受けることは多い。

はっきり言って私には、「被疑者・被告人の権利など守られるべきではない」というのが日本国民の多数意見であるとしか思えない。

憲法上、司法府は政治部門から独立していることになっているが、最高裁人事等で一定の民主的コントロールは及ぶ。捜査機関は行政機関だからそもそも政治部門だ。司法関係者が従うべきルールを定める刑事訴訟法等の法律は国会が制定する。今は裁判員裁判もある。

このように刑事司法に民主的コントロールが及ぶ以上、国民の多くが常日頃から被疑者・被告人の権利擁護に冷淡であることは、痴漢冤罪を助長する効果が大いにあるといえる。

他の犯罪は身近でないから自分が被疑者になることなど想像もできないが、痴漢については明日にも無実の罪を着せられそうで怖い。実感としてそういうことなのはわかる。

しかし、あなたが痴漢冤罪にしか関心がないからといって、痴漢についてだけ、それも冤罪の場合についてだけ刑事司法のあり方が被疑者・被告人寄りに変化してくれるなどという都合のいい話はあるわけがない。

痴漢以外の罪も含め、また冤罪だけでなく真犯人も含め、被疑者・被告人一般の権利を守ることでしか、痴漢冤罪被害者の権利が守られることもない。

前々編:痴漢を疑われても逃げるべきではない理由

前編:痴漢を疑われた場合の弁護士アクセス手段をいくつか挙げておこう

弁護士 三浦 義隆

おおたかの森法律事務所

http://otakalaw.com/